2012年11月15日(木)

松屋横浜店、成田山参道の石碑(松屋デパートが昔あった横浜)

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

成田山新勝寺参道を行くと、急勾配の階段が2か所あります。最初の階段を上った中腹には沢山亀がいる池があり、大きい提灯を通って次の階段に向かいます。何故かその日は、階段両側の手すりを支えている石柱に目が行きました。柱の一つ一つには、新勝寺に寄付をした個人、企業の名前がずらっと書いてあります。

メインストリートの参道だから寄付金も高額だったのだろうと思いながら見ると、一番目立つ先頭には

「浅草 銀座 横浜   松屋」

と名前が彫ってありました。流石、老舗の松屋デパート。一番先頭さんをキープしているのか。しかし、あれ?松屋に “横浜店” なんかあったけ?

松屋のメインはもちろん銀座で、2010年に三越銀座店の新館がオープンするまでは、銀座の売上NO.1デパートでした。松屋浅草店は、地上2階部分に東武鉄道浅草駅が入る東武所有の駅ビルです(お腹に穴の開く不思議な建物です)。創業は1931年(昭和6年)。ちょっと耐震性には疑義ありなので、次の大地震までには耐震補強がかなり必要そうです。現在は、4階以上のデパートの営業は止めており、地下1階から3階まで(その内2階は東武鉄道のホーム)に縮小しています。松屋の店舗は、この銀座と浅草の2店舗だけです。

“松屋横浜店” をネットで検索すると、ウィキペディアには過去に存在した松屋のデパートとして、「横浜吉田橋店」、「伊勢佐木店」があると書いてありました。横浜吉田橋店は昭和21年に区画整理で閉店となってしまいます。伊勢佐木店は、昭和53年にイセザキモールに面するライバル店の松坂屋に店を譲渡したと書いてありました。詳細は分かっていませんが、おそらくこの横浜吉田橋店、伊勢佐木店をまとめて“横浜”と参道石柱に表記したのでしょう。

横浜松坂屋はJR関内駅の西側にあり、昔は大層賑やかだった商店街「イセザキモール」にあるデパートです。ただ営業成績は悲惨で、連続赤字30数年という不名誉な記録を持っていました。とうとう2008年にデパートしての営業を止めています。ミュージシャンの「ゆず」がまだ無名だった頃、路上ライブをしていた場所として有名です(閉鎖改装中の看板にそう書いてありました)。

横浜松坂屋本館は、2012年2月に専門店ビルの「カトレヤプラザ横浜」として再スタートしました。昔のレトロ感が漂う来客数も少なかった松坂屋デパートに比べれば、そこそこの来客を確保しているようです。場所は結構良い立地ですから。一方、旧松屋だった横浜松坂屋西館はもう少し早い段階で閉鎖となり、2000年に「JRAエクセル伊勢佐木」、そなわち競馬の場外馬券売り場として再スタートしています。

かつて存在していた松屋の横浜伊勢佐木店(関内店?)は、松坂屋となり、そして2000年以降は場外馬券売り場として生まれ変わっていたのでした。

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