2013年2月9日(土)

渋谷の歴史Ⅲ 渋谷の幻の川を訪ねて

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

雑誌「東京人」2013.3月号で渋谷の歴史が特集されていました。その中の渋谷に多数あった河川がどうなっているかをまとめてみました。

渋谷は周辺が高台で、その谷地の渋谷駅周辺に水が流れる、すなわち川が多い地勢になっています。その中でも代表的な河川が、渋谷川と宇田川でした。渋谷川は、国道246号線の南側、明治通りの西方(山手線側)すぐ裏をどぶ川のように恵比寿方面に流れています。この渋谷川の渋谷駅より北の方はどうなっているか?

答えは、暗渠(あんきょ)として今も流れています。暗渠の上は渋谷川遊歩道となり、近年は人気の商業ゾーンになった「キャットストリート」も渋谷川の上にある通りです。

それでは渋谷駅付近の渋谷川はどうなっているのか?これは現在でも渋谷駅構内に暗渠があり、渋谷川が流れています。昭和9年に開業した東急百貨店(東急東横店)は渋谷川の上に建設され、その時から渋谷駅東側付近を流れていた渋谷川は地上から消えることになります。

歴史を辿ると、まず渋谷駅の渋谷側が東急百貨店建設により消え、昭和39年の東京オリンピック開催を前に、渋谷川の急速な暗渠化が始まります。それが前述の渋谷川遊歩道の建設です。渋谷川の暗渠部分は、法律上は河川ではなく下水道の扱いになっています。渋谷駅東方に宮益坂の地名がありますが、宮益坂の下に渋谷川を渡る「宮益橋」があり、これが地名の由来になっています。

もう一つの渋谷の代表的河川だった宇田川も、宇田川町として地名が残っています。宇田川は現在の井之頭通りの西方沿いを流れていました。代々木上原や初台あたりの高台から流れてくる川が、代々木八幡宮の南側あたり(代々木公園交番前交差点付近)で合流し、現在の井の頭通りのやや西方のルートで、西武百貨店渋谷店A館とB館の間を通り、昔あった宮益橋辺りで渋谷川と合流していたそうです。宇田川も東京オリンピック開催前に急速に暗渠化が進められます。宇田川の暗渠の上は「宇田川遊歩道」となっており、こ洒落た飲食店等も見られます。宇田川の暗渠も下水道の扱いとなっています。

現在は暗渠で川が隠されていますが、昔を忍んで暗渠の上の遊歩道を散歩してみます。

追記1)“春の小川はさらさら行くよ”の唱歌「春の小川」は、渋谷川支流の「河骨川(こうほねがわ)」がモデルになっているそうです。作詞したのは、高野辰之氏。大昔は田園地帯を流れる清流だったんでしょうね。

追記2)東京急行電鉄は渋谷駅南側の再開発に合わせ、渋谷川を人々が憩える水辺に再生すると発表しました。渋谷駅南側の大通りに面した再開発で、地上33階の高層ビル(上層階はオフィス、低層部はホテル)を建設し、併せて川沿いの老朽化ビルを撤去して、広場や遊歩道を設ける計画です(完成は2017年を予定)。現在は汚い川の水も、下水を浄化して流すことできれいな渋谷川を取り戻す計画です。現在の渋谷側は情緒の無いただ汚いだけの川なので、早く再開発が進むことを期待しています。

追記3)昔、渋谷界隈を仕切っていた任侠軍団が安藤組こと東興業です。後に映画俳優になった安藤昇氏が組長をしていました。その東興業の事務所があったのが宇田川町と聞いています。

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