2015年5月3日(日)
東京にあった牧場
明治の中頃に西洋の牛肉や生乳が日本でも流行り出しました。東京には武家屋敷跡の広大な土地が残っていたので、東京の芝、麹町、牛込などに牧場ができました。新宿2丁目にも「耕牧社」などの牧場ができ、大正初めごろまでは「牛屋が原」と呼ばれていました。そんな明治時代の東京の牧場を追ってみます。
・牛込とは牛が多く集まると言う意味で、牛がたくさんいた場所。すなわち牧場があった。新宿区の牛込周辺は奈良時代から牧場があったようである。農耕用、荷物を運ぶために牛は使われていた。石見銀山から産出された銀を山道で尾道まで運んだ時も、馬よりも牛を使って運んだ。日本海側の塩を山道経由で内陸部に運ぶ時も牛が活躍した。
・榎本武揚(幕臣で函館五稜郭に籠城、後に明治政府の高官となる)らが失業した武士の救済策として牧場「北辰社」を九段に作った。飯田橋と九段下の間の目白通り沿いに碑が立っている。最盛期は乳牛が40~50頭いた。
・当時の明治政府は大名や旗本が放置した武家屋敷跡地の再利用と、外国人の飲用牛乳確保に迫られた。酪農も殖産興業策の一つとして奨励された。後に山縣有朋、副島種臣らの華族も手掛けている。
・明治初めに東京で牛を飼い始めたのは、維新で失業した武士や、新政府の要職につけなかった旧幕臣の失業対策でもあった。明治3年(1870)、政府は築地牛馬会社を作った。その2年後には東京に9件の牧場ができた。広い武家屋敷の跡地が使われる。明治21年(1888)資料では、東京に牧場が160カ所あり、全国の乳牛用頭数の半分が飼われていた。東京都心でも千代田区14戸、中央区15戸、港区29戸、新宿区18戸、文京区15戸、台東区16戸と合計107戸が確認できる。
東京で牧場か。この調子なら、養鶏所、豚舎、茶畑、桑畑。100年前の東京には、思わぬものが結構あったのでしょうね。
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