2011年3月8日(火)

弘前の洋館と名匠堀江佐吉

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 青森県弘前市には、明治時代に建てられた見事な洋館が残っています。これらの大半は、棟梁堀江佐吉の作った建物です。堀江佐吉関連の建物で、現在も残っているのは、

①青森銀行記念館(明治37年、国・重要文化財)

 弘前市元長町26 旧第五十九銀行本店本館  ルネッサンス風・和洋折衷の建物

②旧弘前市立図書館(明治39年、青森県・重宝)

 弘前市下白銀町2-1  左右にある八角形のドーム型塔が特徴

③太宰治記念館 「斜陽館」(明治40年、国・重要文化財)

 五所川原市金木町朝日山412-1 旧津島家住宅  太宰治の父、津島源右衛門の豪邸(1階11室、278坪、2階8室116坪ととにかく大きい)。堀江佐吉がヒバをふんだんに使って造った。昭和25年から旅館「斜陽館」として使われていたが、平成8年に金木町(現、五所川原市)が買い取り、太宰治記念館としている。

④弘前厚生学院記念館(明治40年、国・重要文化財)

 弘前市御幸町8-10 旧弘前偕行社 弘前は日本陸軍第八師団本部が置かれ、第八師団本部の社交場として建設された。現在も弘前厚生学院記念館として現役で使われている。

⑤日本キリスト教団弘前教会(明治39年、県重宝)

 弘前市元寺町48 パリのノートルダム大聖堂をモデルに、堀江佐吉の四男・斎藤伊三郎が建設。

 これら洋館は、全て日本の木造建築技術を使いながら、建物外観はすっかり西洋建築物となっており、堀江佐吉の技術習得力が如何に高かったかを物語っています。

 堀江佐吉は、弘前市覚仙町で、1845年に生まれました。佐吉の父、祖父とも弘前藩お抱えの城大工と、大工棟梁としてはサラブレットの生まれです。堀江佐吉が西洋建築の技術を主に学んだのは、開拓使として北海道に渡り、西洋風の建物が建ち始めた函館、札幌でのことと言われています。弘前に戻り棟梁となってから、数百人もの堀江組を率い、人望も厚く、大工の神様と呼ばれていたそうです。堀江組は現在も活動しているのですが、HPが見つからず、詳しい情報は分かりません。

 これほどの弘前建築界のスターだから、地元では超有名なのだろうと思っていたら、弘前市関係者もあまり名前を語ることがありません。弘前市役所のホームページにも、特別に取り上げられてはいません。市役所のHPで“洋風建物“のコーナーで、その他大勢的にちょこっと紹介されている程度です。http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/youfuu/index.html(洋風建物で掲載されている写真は、最低レベルのオンパレード。最高の観光資源が台無しです。)

 今後団塊の世代が、大勢、日本各地を訪れるはずです。彼らが感動するものは、近代的建物ではなく、歴史的文化遺産です。せっかく明治時代に名匠堀江佐吉から素敵な洋館をプレゼントされたのですから、弘前市は最大限宣伝し、観光資源として活用に励むべきです。

追記1)偕行社とは、陸軍将校の集会所・社交場、迎賓館としての施設。東京の九段に九段偕行社ができてから、各地の師団司令部所在地に偕行社は設立されました。

追記2)戦時中、青森市には米軍の空爆が物凄かったのに、弘前市には爆弾が落とされることはありませんでした。陸軍第8師団本部が駐在していたにも関わらずです。明治初期から弘前にはキリスト教教会が多数あり、帰国した米国人教会関係者が弘前には爆弾を落とさないように頼んだからだ。そう信じている弘前市民も多いようです。

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