2013年2月11日(月)

江戸の大社だった神楽坂の「赤城神社」

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

雑誌「江戸楽」2012.12号に、太田道灌の18代目子孫太田資暁さんの掛かれた神楽坂の記事がありました。

神楽坂は東京23区の中でも2番目に標高が高い場所にあります。ちなみに1番目は港区の愛宕山神社です(標高25.7m)。太田道灌の死後、江戸城主となった上杉氏は上野国赤城山(現在の群馬県前橋市)から放牧の経験が豊富な大胡氏を呼び寄せ(1550年頃)、牛込の地に住まわせました。この大胡氏が後に牛込城を作り、牛込氏を名乗るようになります。

牛込城は、江戸城を見下ろす高台にあったことから徳川家康がこれを嫌い、お城を取り壊してしまいます。その後には1645年に神田から移転した光照寺が建っています。場所は神楽坂のちょっと西方にある新宿区袋町にあります。

牛込氏は故郷にあった赤城神社を勧請し、牛込の地に赤城神社を創建しています。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めました。現在の神楽坂のランドマークである毘沙門天の善国寺よりも、赤城神社の方がメジャーな存在だったのです。

赤城神社は、平成21年から22年にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」と言う再開発事業が行われました。老朽化した赤城神社を建て替え、隣接にあった赤城幼稚園を含めて定期借地権付き分譲マンションを開発しました。分譲マンションの事業主は三井不動産、設計は隈研吾氏が担当しました。ちなみに隈研吾氏は、赤城神社の氏子だそうです。現地に行くとガラス張りの近代的マンションが赤城神社の階段に沿って建っています。赤城神社の高台からは、北方、西方の目白、江戸川橋、早稲田の土地が一望できます。

追記1)「江戸城再建を目指す会」と言うNPOがあり、この会長が太田道灌の18代目子孫の太田資暁さんです。東京海上あんしん生命元社長で、色々な江戸の歴史を研究されています。

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